« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

女子と男子

人生には何度かモテ期があるのかもしれないが、それは私にとっては今なのかもしれないなぁ・・・って、女子にだけど。何だかここ最近、2日に1回くらい女の子とご飯を食べたり遊んだりしている。あまり人を誘わない私にとっては、私のことを思い出して声をかけてもらえるだけでも本当にありがたい。

だけど、私は究極のところ、サマンサ・ロンソン(♀)とつきあうリンジー・ローハンにはなれないので、もう少しこのモテを異性の方に振り分けたいものだと思う。
花粉が体内にたまってあるピークを過ぎると花粉症になるように、これだけ連日女子とデートばかりしているとそのうちジンマシンが出てきて、その衝動で男性ばかりの柔道部に入るとかとんでもない方向に行っちゃったりしないか、など色々心配になるのだ。

前置きが長くなったのですが、どうして私はリンジー・ローハンにならないかと思ったかというと、タナダユキの「俺たちに明日はないッス」を見たからなのです。

彼女の「百万円と苦虫女」はそこはかとなくガーリーに見えながら、私には違う面でガッツリささった作品でした。森山未來のいけずな大学生の役の設定に、異性を鋭い視線で捕らえる女性ならではの感性を感じて、「タナダユキは若い男の子を描くのがものすごく上手いのではないだろうか」と思っていたのですが、その思いは「俺たちに明日はないッス」を見て更に強くなりました。

「俺たちに明日はないッス」の主演は柄本明の息子、柄本時生。間違いなくクラスに一人はいた感じの、イケメンでない癖に妙に自信家な男子。他にはイケメンの峯、安パイというデブキャラくんがいて、それぞれが女子生徒と色々あるわけなのですが、まぁ何というか「ウォーターボーイズ」の明るさとは真逆。「ROOKIES」の熱さはかけらもない。「クローズ」のような勢いもない。何も起こらない、けど内面にはじくじくと低温で育っている、暴発寸前の欲望や思いを孕んだ高校生活を描いています。

うーむ。タナダユキ、やはり好き。女性監督くくりでいえば、西川美和にはどうしても乗れないし、河瀬直美にはもっと乗れないのですが、タナダユキの若さ、特に異性である男子の若さを客観的に描きだす手腕には、女性としてすごく共感してしまいます。
憧れているのでもなく、賛美しているのでもなく、彼らの青さ、ズルさ、いたいけさを上手く描いているように思えるんだよなぁ。
若い男子の妄想とピュアな精神からくる暴走を描いた映画はたくさんあるけれど、タナダユキの映画は
その結果 うなだれてひざまずいてしまった男子のうなじを優しく抱くお姉さんのように思える。マリアのように優しく包容力のある、でも彼らに対してまだ欲望も持ちえる、少し年上なだけの官能的なマリア。

で、「俺たちに明日はないッス」を見て、高校生の頃、白いシャツを羨ましさと好意を持って見ていた自分を思い出しました。なんていうんでしょう、あの、ちょっと青みがかった制服用の白いシャツ。
親は私立に行けともうるさくて、でも私は私立用の勉強をしていなかったので、当然受けても受かる訳なかったと思うけど、私が私立に行きたくなかった理由はただ一つ。
「女子校なんて絶対に嫌。チェックのズボンをはいた腑抜けた私立共学の男子生徒も嫌。私は、学ランを着て夏には白いシャツを肌の上に1枚だけ着ている男子と一緒に高校に通いたいの」

うーむ。私のフェティシズムは既に高校前に完成していたんだなぁ。と、「俺たちに明日はないッス」の主人公たちの白いシャツを見て思い出しました。
そして、そんなフェティシズムを抱えた私は、究極的にはサマンサ・ロンソン(♀)とつきあうリンジー・ローハンにはなりえなくて、結果、女子デートは週2くらいにして男子ともたまにはデートをしなければ、と言う最初の命題にたちもどるのでした。

|

図書館は面白い

都議選、面白いですねぇ。ビールを飲みながら速報を見ています。今まで毎回選挙は欠かさず行っていた・・・というほど清廉潔白でもないけど、そりゃこういう状態になったら行きます。

さて、そんな選挙デーな本日ですが、私が何をしていたかというと、髪を切りに行ったのと図書館に2館も行って肩こりになってました。

そもそも私は一人暮らしを始める前は月々の本代がバカになってなくて、まぁ実家だから自由になるお金も多い訳ですが、ストレスが溜まるとどーん、どどーんと1万円、2万円とバカ買いしては紙袋で持ち帰っていました。

が、一人暮らしをしてからもそんなことをやってたら、本当に首が回らなくなり・・・しばらく思いあぐねていたのですが、何と私が選んだ街には目黒区の中央図書館があったのです。私の実家がある横浜のある区の図書館は、蔵書はショボイは汚いわ、野毛にある中央図書館なんかからも取り寄せられますが、予約を紙に書かなきゃ行けなかったりして、それはそれは面倒なものでした。しかも7冊くらいしか借りれなかったはず。

なので、一人暮らしのときも図書館があるなんて知りもせず、ふらーっと住む街を決めたのですが・・・うーん、何か神の導きを感じるなぁ。私の街の図書館は大学跡地に建てられていて新しく、地下1階のワンフロアの図書館としてはかなり広い方なのです。(恋に落ちるならこういう図書館で、と三十路女子の私は妄想をする)

最初はおそるおそる使っていた私ですが、徐々にその便利さに驚嘆することに。中央図書館は平日は夜9時まで開いてるし、20冊も借りることができる。更に20冊分予約できて(しかも、ネット上でオープンアクセス)、他の図書館からもガンガン取り寄せられる。(というか、目黒区の図書館は各館の蔵書制をおそらく取っていなくて、それぞれ在庫が流動的に動くのです)つまり40冊、常に何らかの書物に関わっていられる訳で、これは活字中毒には非常にありがたい話。

更に中目黒にも中目黒図書館というのがあって、予約の受け取り館をここにすれば、会社の帰り道に受け取れる。ここは駅からすぐだし、21時45分まで開いているのだ。おそるべし、目黒区の図書館・・・

この2館使いを知ってからは、ぐるぐると貸し出しと予約を繰り返しておりました。私は読んでない本、見ていないDVDがあると狂ったようにそれを処理(失礼な言葉だが、あえて使用)したくなるという性質があり、更にそれを元ある場所に返さずにいられないという体質なので、必要以上に図書館に行く回数が多い。夜に無理矢理読み、朝、会社に行く前に返却ボックスに返却。会社の帰りに予約を受け取る。帰りに行くならそのときに返せばいいじゃんねぇと自分でも思うのだが、何しろ重いので早く返したいし、そもそも気分的に返すとすっきりする(笑)そんなこんなで1日に中目黒図書館に2回も寄ったりして・・・何やってるんだか。

更に最近、マンガセットというものを借りれると知り(しかもセットで1冊扱い)、調子に乗って借りまくったら、今、家に60冊分くらいのマンガがあります・・・よ、読みきれるのかしら。

更に更に、最近覚えたのが渋谷区立図書館使い。目黒の図書館の方の予約がすぐに20冊を超えちゃうんですよね・・・というのも、5件先、10件先、という予約もあるし、そうなるとそれが何週間も止まったままになるので、予約できる数がどんどん少なくなってしまう。更に、予約が引きあたるとそれを取り置いていてくれるのですが、すぐに取りにいけるとは限らないので、それも引き取るまでは予約扱い。そうなると20冊なんてすぐ。仕方ないので、予約数が多い本は無視することに。

でも、予約の少ないすぐ読める本を借りても、やっぱり面白くない・・・ということで考えを転換。渋谷区立図書館も併用することにしました。渋谷区立図書館の中央館は原宿にあるのですが、表参道にあるフィットネスに通おうと思ったのも一因かも。あと、不思議なことに渋谷区立図書館の方が予約数が少ないんですよねー。この特色は何なんでしょう?

例えば、絶賛売切れ中の村上春樹の「1Q84」、目黒区立図書館は30冊蔵書していて予約が約1600件。対して、渋谷区立図書館は21冊蔵書していて、予約が500件。3倍予約数が違うってどういうこと!?これを見れば、予約数が多い本は渋谷区立図書館で予約しよう、と思うのは当然かと。

うーん何だろう、利用者数が違うのかなぁ。渋谷って商業施設が多そうですもんね。対して目黒区なんて住宅地ばっかりっぽい。ちなみに、隣接という意味では世田谷区立図書館もありますが、ここは1タイトルあたりの蔵書数は渋谷や目黒より立派ですが、予約数が更に多いので怖くて手を出せてません。

あぁ・・・図書館は便利だけど、それに加えてこういう予約数とかから伺えることがうっとりするほど楽しい。私が数年前にやっていた職種では、正にこういうことを調べていたのですが、何て適職だったのだろうと思います。

去年はもっと安い家賃を求めて引越しも考えたけど、やっぱりこの街はやめられないなぁ。図書館によって一体いくら浮いているんだろう・・・いえ、はい、私、自分の会社や自分の好きな業界のことを考えたら、図書館を礼賛してはいけないんです。それはわかってます。でも、もうしばらく、お金が溜まるまで利用しつくさせて・・・そんな風に思う私なのでした。

|

雑記

頑張ってスケジュールどおりに物事を運ぼうとしているが、結果、良くわからない一日になっている。

まず、シネマ・ヴェーラに「ヒズ・ガール・フライデー」を見に行く。見たかった古典の一つ。字幕無し上映というのもシネマテーク風でいいよねと思って参上。結構混んでいる。料金500円也。が、1940年作成でスクリューボール・コメデイとあってはほとんど聞き取れない。登場人物が機関銃のように喋りまくる映画なのに、しばし爆睡。ふと隣を見ると知り合いの人が座っていてビックリ。

横浜に移動して@cosmeのイベントへ。10周年記念とのこと。私はメイクが下手、というか寝坊ゆえにほとんどしてないですが、実はコスメ好きなので、たまに狂ったように買いまくります。

たくさん試供品をもらってそのままブリリア・ショートショートフィルムシアターへ。マンションの中にあるショートフィルムだけを上映する映画館。訪れたのは蛙男商会ことFROGMAN監督のアニメ特集を見るため。「鷹の爪」って知ってますか?TOHOシネマに行くと、上映前の禁忌事項説明で出てくるあのアニメ。土曜日の朝7時からやっている子供向けのアニメ番組のギャグ・センスにはまり、それがほとんどFROGMANという人によって作られているということを知ってから、ちょこちょこと作品を見てはきたのですが、それが特集上映とあっては行かなければ、と。ちなみにこの人、声優もほとんど自分でやってます。すごいな。

コスメからシュール・ギャグアニメへの転換に自分でも戸惑ったけど、まぁこれが自分だと納得。

帰りの電車で山岸涼子の「アラベスク」を読む。よしながふみの「あのひととここだけのおしゃべり」を最近読んだことで、少女マンガへの憧憬が復活しているので。ふと思ったのだが、少女マンガというのは分析するのに一つの金脈なのではないかしらん。最近遅まきながらアニメを見るようにしているが、アニメについては多くの評論が存在するし、遅まきでは到達しえないくらい歴史も量もものすごい。少年マンガもおそらくそう。でも、少女マンガは、歴史や量においては少年マンガやアニメと同等だと思うけど、国内でも国外でも注目度がやや低い気がするのだ。どうだろう?(インドネシアでマンガの翻訳をしている人と文通をしているが、おかざき真里の「サプリ」みたいな大人の女性向けのマンガの話をしても反応がサッパリだった) 評論している人もあまり見ないし、少女マンガなら学生時代は普通に読んでたし・・・と何とか語るに足り、語るに易い分野を探している邪な私。

話がズレた。でも「アラベスク」には感動!私、バレエやる!とまた狼少年のように叫びたくなるくらい。ラブストーリーとスポーツものと知識ものが見事に融合している。更にユーリ・ミロノフ先生が全ての女子の憧れを兼ね備えていることに呆然。以前も同様の文章を読んだことがあるような気がするけど、このことについて、自分でも何かしらの文章が書けそうな予感。「アラベスク」を読んで大人になってもミロノフ先生はどこにもいないこと、これは絶対にある世代に影響を及ぼしているな。自分が未だに夢見がちな三十路であることをマンガのせいにしようとしているのかな。ははは。文章書けそうって、結論決まってるじゃん。

寝る前に「レス・ポールの伝説」というドキュメンタリーを見る。あのレスポールギターを作った人で、多重録音の発明者でもある。私はギターとかロックも好きなので、音楽ものドキュメンタリーは割と良く見る。(実際に楽器を演奏したりライブを見に行ったりではなく、こういう風に周縁から攻めようとするところが悲しいけど) ・・・顔ツヤも良い90歳のレス・ポール。表情も性格も穏やか、自分の好きなことに自分の特質を活かして集中し、そして実際にことを成し遂げ、周りに愛され尊敬され、という人生を送るとこのように聖人のような顔になるのだなぁとしみじみ思う。明るくてユーモアがあって、腰も曲がらず元気で、今でも奏でる音色には色気がある。彼は8歳くらいから音楽に興味を持ち始めたそうだ。そしてとことん物事を追求しなければ気がすまない性格。それが結実してレス・ポールのギターになった。最高の話だ。

そしてふと、ガンダムを作った富野由悠希の人生相談集の回答を思い出す。「富野に訊け!」というその本は、元々はアニメージュというアニメ雑誌に寄せられた人生相談に対する回答をまとめたものだった。25歳を過ぎて「アニメーターになりたいんですけど」といった相談に対する回答が印象的だった。「本当にアニメーターになりたい人は、15歳くらいにはもう何かやっている。私も死ぬほどペン画を書いていたし、小説も原稿用紙に何百枚も書いていた。そういったことをせずにアニメーターになりたいというのは絶対に無理だ、あなたは何にもなれない、今までどおり今やっていることをやっていきなさい」といったものだったと思う。

富野由悠希、レス・ポールの言葉や雰囲気を見るにつけ、私はそれだけの情熱を何かに持てなかった人間なんだ、とつくづく思う。既にご馳走として提供されたものをペロッとなめて、この素材は何々でございますね、なんて一人で言って満足しているだけ。本当にその分野に行きたい人は、中学や高校の頃にもうその分野を目指していただろう。体裁や世間体を気にして結局のところ中途半端な場所にしかいれなかったのは自分の責任だし、そのことについて私は去年丸1年悩んだのだが、三十を超えてその悩み。甘すぎる。

でもまぁ仕方がない。去年1年悩みぬいたおかげで、ゴールに何もなくてもそれがしたいならするさ、という気持ちになった。プライドのゲージが0になったのだ。なので、ただただ映画やマンガや小説を咀嚼しているだけかもしれないが、それでしばらく行こうと思う。そんなときに心に浮かぶのは、映画監督小林政弘の言葉。彼はロカルノ映画祭でグランプリを受賞した際、「映画をあきらめないでください」と若い人に向けて語ったのだった。ゴールや対価を期待しなければ、私もあきらめなくても富野由悠希にも「見苦しい」と怒られないのではないかしら。なのであきらめないようにしよう、芸術やエンターテイメントに人々の欲望や無意識やその時代の表象があらわれる、そのことを追求することを。

|

ロルナの祈り

公開からはもう半年くらい経ってしまってますが、飯田橋ギンレイホールで見てきました。
結論としては、見ることができて
良かった!今のところ上半期見た中で1番かもしれない・・・
深い感動に包まれております。

あらすじとしては・・・
アルバニアからベルギーに移民としてやってきたロルナは、クリーニング屋で働くその裏で、偽装結婚をしている。偽装結婚の相手は麻薬中毒のクローディ。必要以上に頼ってくる彼には冷たいロルナだったが、あることをきっかけに不思議な感情が2人の間に生まれる。しかし、ベルギー国籍を取得した彼女を使って次に国籍売買を試みるブローカーのファビオはある計画を立てていた・・・というもの。

映画のイメージカラーは可愛らしいピンクですが、テーマは偽装結婚、麻薬中毒と重めだし、
ベルギーの町並みもゴツゴツした感じで、実はあまり可愛らしい雰囲気はない。
物語の初めの方のロルナとクローディの間もそれはそれは冷たいもので、ことさらに甘えてくるクローディをロルナは突き放すばかり。

でも、予告編でも流れていたとおり、ふとした瞬間から二人の間に愛情に近いものが生まれます。
ここまで、あぁー良いなぁーと思って見ていた私。
クローディ役のジェレミー・レニエが母性をくすぐる顔をしているので、こっちまでロルナの気持ちになってくるというのもあって。
中毒がひどくなったと言っては薬を買ってきてくれだの、入院のために代わりに電話をかけてくれだの。
抱きつかれ、すがられ、泣かれ、でも、それが落ち着いた後に「君がいるから耐えられる」と言われたら、そりゃロルナでなくても愛情が芽生えるがな。
しかしまぁ、そこはダルデンヌ兄弟、そんな陳腐なラブストーリーで終わるわけがない。
この後 事態が急転直下。観客はえぇぇーーっと置いてけぼりをくらいます。

私なんて、ここでちょっと腹が立ったくらい。
予告編は明るい感じだったけど、良いところだけを抜きすぎなんじゃないのぉー。暗くて単調な物語じゃない、と。

そんな風にプリプリと怒っていたけど、途中から涙が一筋。
ロルナの、彼女自身でも気付かない想いが言葉に表れていたことに気付いたら、急に。
何気ない言葉でこんな風に観客の感情を一気に溢れさせるなんて、ダルデンヌ兄弟、すごい。

そしてそこからはハラハラしながら画面を見守り、(サスペンスタッチでもあるので)最後の10分くらいのシーンに更に感動。
全体的に手触りは固い感じの映画なのですが、最後はまるで童話の世界のように、小さな閉じた暖かい世界で終わるのです。

最後の方はハラハラと涙が流れるばかり。
もちろんストーリー自体も良いのだけれど、どちらかというと、こんなに芳醇な映画を作り出したダルデンヌ兄弟に感動して。

先週末、作品のメッセージをラストシーンで主人公に言わせてしまっていた「インスタント沼」にブツブツと言っていたけれど、その逆をこんなに完璧にできる映画があるなんて。

「ロルナの祈り」のメッセージは、もはや一言では言えない、というか言葉で表すには勿体なさすぎる。
原作を忠実になぞった映画、誰もが同じ感情を味わうような映画、そんなものを軽く超えた本当の映画っていうのは、やっぱりこの世にあるものなのだな、と感動してしまいました。

私は最近、映画分析の講座みたいなのに通っていて、そこで映画文法的なものを教えてもらったりしているのですが、そういう意味でも本当にお手本のような映画でした。偽装結婚の主謀者であるファビオ、ロルナの恋人であるソコル、そして麻薬中毒のクローディ、この3人は鼻つまみ者である点では大して差はないのですが、ロルナが信頼を寄せているはずのファビオとソコルの方がお金に汚い。2人ともロルナの前で、まるで彼女を売り買いするようにお金のやりとりをする。そこでクローズアップされる札束。けど、そこで私たち観客の脳裏に思い出されるのは、しきりにロルナにお金を預けていたクローディの姿。そのお金は、偽装結婚によってもたらされたクローディ自身のものであるはずなのに、タバコを買うから10ユーロ、君のために夕食を作るから20ユーロと少額しか使わず、まるで母親に預けるようにロルナにお金を預けるクローディとファビオとソコルの対比が、意識することなく観客の脳裏に焼きついていて、それがまた後半のシーンの裏づけになっているんだよなぁ。。。

何というか、例えると「ロルナの祈り」は、一粒のマスカットを味わったかのような気持ち。
ハリウッド映画は例えるならAIBOで、「良くできてるなぁ」といつも思う。あの『アメリ』は例えるなら一流のショコラティエが作ったチョコレートのような出来の良さ。でも、それに対して「ロルナの祈り」は一粒のマスカットのよう。素朴で、皮をむくと意外に表面はザラザラとしていて、甘いとは限らず、少しすっぱかったりする。でも、加工食品や工業製品には絶対に出せない透き通った美しさ、一つの生物が持つ力強さを秘めている。考えれば私、最近 できあいの映画ばっかり見てたなぁ。久しぶりに本当の食べ物を、映画を味わえて、良かった。そんな風に思えた作品でした。

一応 ギンレイホールでは7月10日(金)まで、新文芸座では7月30日(木)だけやるようです。ややシネフィル向けなのかもしれないですが、よろしければ是非・・・!

|

真木栗ノ穴

最近、早起きをするようにしてます。本当は24時間営業の原宿のフィットネスに行きたいんだけど、なかなかそこまではいかず、結局 本を読んだりと単なる時間つぶしになってる気が。

そんな訳で、今日は6時からDVDをトレイにイン。西島秀俊主演の「真木栗ノ穴」。
これ、すごーく良かったです!(ただし、西島秀俊ファン限定)

あらすじは、売れない作家の真木栗勉(まきぐりべん)は、古いアパートに住んでいるが、ある日、隣の部屋を覗ける穴を見つける。その隣に女性が越してきたときから、不思議なことが起こり始める。
隣に住む女性は美人タイプではないものの、妙にエロティック。いつしか真木栗が書く官能小説どおりに現実も進むようになっていき・・・というもの。
そこはかとなく官能的な映画でした。(最後は怖いんですが)

とにかく、西島秀俊ファンにはたまらない設定の数々。
西島秀俊が作家!しかも途中から官能路線に変更!
汚いアパートで生活!パジャマ着てる!隣の部屋のぞいてる!
怒ってる!カップラーメン食べてる!ユニットバスのバスタブに入ってる!
と、感動に打ち震える2時間なのでした。監督ありがとう・・・ 

もちろんそんなことのために撮られた作品でないことは承知なのですが、
割といつもストイックな役が多いので、ここまで色々なシーンがあるととても嬉しい。

そして文学やら映画やらが好きな人が大概持っている「妄想」という病気、これがどんどんあらわになっていく様子が気持ちよい。妄想と官能と退廃、それが古アパートを舞台に繰り広げられる心地よさ。

西島秀俊好きな人、もしくは妄想好きな人にはお勧めな一品です。

|

MW-ムウ

玉木宏の体脂肪4%に至るダイエットと、そこはかとなく漂う主人公2人の同性愛傾向、という宣伝にまんまと引っかかり、見るはずだった予定の映画を変更してまで見に行った「MW-ムウ」。

銀行員を装いながら悪に手を染める結城美智雄(玉木宏)と神父の賀来裕太郎(山田孝之)。
顔色も変えずに次々とターゲットを狙っていく結城と、神父という立場からそれを止めようとするものの、同時に手も貸してしまう賀来。2人にはこうならざるを得ない、忘れることのできない共通の過去があった・・・という話。(という話と言われてもという感じでしょうがネタバレになるので話せない・・・)

「のだめカンタービレ」の千秋様で人気の玉木宏が今までの自分のイメージを変えたいと迫真の気合で挑んだとあって、最初から最後まで彼の悪役ぶりが楽しめる映画。

ネット上の感想を読むと、アクションがチープだとか物語のバランスが悪いとか書かれていてあまり評判は良くないのですが、私はその辺 あんまり違和感はなかったなぁ。
まぁ確かににチープではありましたが、映画には制作費というものがあるでしょうが!と妙に肩入れ。
「20世紀少年」や「感染列島」とかの方がキャストも何もかも豪華だけど、じゃぁあれらが大傑作かっていうとこれまた微妙な訳だし。
あぁーまた無意味に豪華な俳優が・・・という映画よりは、キャスティングもコンパクトで良かったと思います。

玉木宏は確かにものすごく気合が入ってました。
体脂肪4%というのは正直落としすぎでは・・・と思うくらい。顔を歪めたり笑ったりすると、あ、シワが。
でも、長身でスラッとしているところに、これだけ痩せて悪魔的な笑みを浮かべられると、凄みが増して格好良い。千秋様ラブの女子達も、こういう玉木宏なら良いのでは。
山田孝之も、例の騒動から演じる役柄が180度変わってしまったように思うけど(今回は神父だけどその無精ヒゲは何とかならんのかい、と思うほど、ちょっとワイルドな神父さんでした)やっぱり安定して上手な人なんだなぁと思う。 
玉木宏の朗々としたセリフ使いが気になったりしたものの、そんな訳で楽しめました。
でも、この主演2人のどちらかが好きな人向けかな、やっぱし。

|

インスタント沼

遡って金曜の話。「インスタント沼」の渋谷での上映が終わっちゃう!ということで慌ててレイトショーで見に行きました。レイトショーながら私と同じ気持ちの人が多かったのか、なかなかの混み具合。

すっかり今ではメジャーになった三木聡監督。私はかなり遅れてからのファンですが、小ネタ満載のセリフ、いい加減さやくだらなさが最終的には日常を突き崩すパワーを持っていることを教えてくれる、日本はもちろん、世界でも稀有な作風なのではと常々思っています。

この「インスタント沼」も、冒頭から麻生久美子演じる沈丁花ハナメがミロに牛乳をちょびっとだけ垂らした「シオシオミロ」を味わうところから腰くだけ感満載。松坂慶子演じるハナメの母親がTVを見て発する「あらっ あの人ドヴォルザークに似てない?」というセリフにはククッと声も出ようというもの。この後も風間杜夫演じる沈丁花ノブロウ、加瀬亮演じるガス(電気屋なのにガス)など、ハナメを取り巻く愉快なキャラクターが続々登場、テンションを下げることなく「えぇーっ!?」というラストまで持っていきます。

だけど。だけどね。ごめん。少しだけ貶してしまいます。

ハナメは「見たものしか信じない」タイプで、その性格が災いしてか、編集長である仕事もうまくいかない。それが、ノブロウと出会い、奇妙な出来事に遭遇していくうちにどんどん「見たもの以外も信じる」ように、自分の日常の枠を壊していく。そしてそれが監督の観客に対するメッセージでもある訳なのだけれど。

だけど、だけどなぁ。最初から小ネタやエピソードが満載すぎて、私にはどうしてもハナメが途中から変わったように見えなくて。小ネタやエピソード、キャラクターの強烈さに引っ張られすぎて、物語がそんな風にひとつのメッセージを描いているのだと気づいたのが後半あたり。そして最後にハナメが大声であるメッセージを叫ぶんだけど、それが作品のメッセージを要約しすぎててやや興ざめな気分に。っつーか、そういう風に要約しちゃぁ映画というものの良さが半減するのでは?あるメッセージを伝えたかったのならもう少し物語をすっきりさせて欲しかったし、そうでないなら小ネタ系で突っ走って欲しかった。わがままかしらん?

「ダメジン」「亀は意外と早く泳ぐ」は強烈なメッセージを感じ取るというより、その初めて見る世界に浸っているだけで心地良かった。けど、そこから監督は次に進もうとしているのだろう。それはとても素晴らしいことで、しかもハナメが最後に叫ぶ言葉は、たぶん今の病んだ日本に効く処方箋の一つであることは間違いない。でも、その処方箋が映画という魔法を使って本当に人々に浸透するには、もっと物語として完成されて、そのメッセージが隠しこまれていないといけないんじゃないだろうか?それこそが映画の魔力であり、最大のパワーなんじゃないだろうか?

もっともっと三木聡監督の作品が見てみたい、その思いは変わらない。でも、もっとゆるさとくだらなさを搭載して、その思い切りの良いくだらなさからくる破壊的なパワーが両立した作品が見てみたいと思う、わがままな観客なのでした。

|

「精神」

今日は渋谷イメージフォーラムで「精神」を鑑賞。岡山コラールという診療施設に通う精神障害の患者を追ったこの作品、66名と少ない座席数ながら満席。次の回も満席だった様子。公開してからしばらく経つと思うのに、すごい。確かに現代の人間が興味を持つに十分な話題性のあるテーマだわ。

自作を「観察映画」と規定する相田和弘監督の2作目。1作目の「選挙」は遅ればせながらDVDで鑑賞しましたが確かに「観察映画」。ドキュメンタリーは物事の真実を表すと思っていたけれど、よくよく考えると編集やナレーションで、ほとんどの作品があるメッセージに従ったものになっているのが事実。それに対して想田監督の「観察映画」は余計なナレーションは入らない。ただただ対象を観察し、撮影し、そこから立ち上るものを観客は見る。

いやー・・・この作品、何とも感想を言いがたい。作り物のフィクション映画なら、もしくは監督のメッセージ性が強いドキュメンタリーなら、または百歩譲って「観察映画」でも前作の「選挙」なら、何がしかの感想を言えたと思う。でも、精神障害の患者を「観察」したこの映画、テーマ的にも非常に感想が言いにくい。だからなのか、ネット上のレビューでもこの映画のタイトルを入力しても出てこない。フィクションに対してあーだこーだと素人批評を加えることの気楽さ、テーマが神妙になると一気に言葉が出てこなくなる自分の立場の甘さが辛くなる。

しかしまぁ、この作品の感想は口には出さずとも十人十色なはずだ。監督のメッセージは「精神障害の患者と健常者の間にあるカーテンをとりあえず取り払ってみたかった」。その試みは十分すぎるほど達成されている。「その人」たちは、どんな会話をしているのだろう?何を食べているのだろう?どうやって生活をしているのだろう?薬の量は、生い立ちは、そんな下世話ともいえる興味に、この作品はとりあえず応えてはくれる。何といっても「観察映画」なのだから、その情報量は精査されず膨大だ。

けれど、「観察映画」だからこそ、映画の画面という枠を超えて観客は考え込んでしまうのだ。目の前にいる「その人」たちについて感想を持つということは、映画の中のキャラクターに対してではなく、実在の人に対して感想を持つということなのだから。そしてその人たちはまったく自由に発言をしてくるのだから。

「ROOKIES」のような、ある一定の感想を導き出すような作品と同時期に、この「精神」が公開されたのも何かの偶然のような気がする。この作品を見ずに外側から感想を言うことは絶対にできないし、見たとしてもその感想は声高に言うことができない。どのカテゴリにも入れられない感想を持つとき、人は孤立して、自分の意見を言うことが恐ろしくなる。そういった気分にさせる映画だ。

望むべくは、誰かこの作品を見てください。そしてどうぞ私の感想を聞いてください。

|

スケジュール失敗

最近、映画のスケジュール管理のためにグーグルカレンダーを使っている。そんなに多くの映画を見ている訳ではないのだが、ある日程しか上映していない作品を見逃すのはもう嫌だ!という訳でチャレンジしてみている。

今日も4本ほどスケジューリングしてみていたのだけれど、やっぱり私はダメだなぁ。まず、朝起きたら10時40分。1本目の映画にまったく間に合わない。仕方ないので時間潰しに図書館に寄ったら、思いのほか予約の本が来ていて荷物が重くなる。でも返すには忍びないので、朝食と昼食を兼ねてご飯を食べながらざっと読了。と思ったらそれを返してまた数冊借りてしまう。

結局重くなった荷物を抱えながら、2本目はスケジュールどおりにしなきゃと思って銀座テアトルへ。しかし、そういえば私は方向音痴でもあるんだった。銀座駅で降りたは良いが、駅のある銀座6丁目からどんどん奥、7丁目の方に歩き出してしまう。(銀座テアトルは1丁目) そんなことをしていたら上映時間は軽く過ぎてしまい、めげる。

何とか今日中に1本は見たいんだけど、あと3時間くらいある。仕方ないので「そろそろ高いシャンプーを買わないと女でもハゲる」という話を同期たちとしていたのを思い出し、高級シャンプーを買いに行き、時間を潰す。

これでもまだ14時半。仕方ないので図書館で借りた本を読む。漫画家よしながふみの「あのひととここだけのおしゃべり」。あの有名な「西洋骨董洋菓子店」「大奥」までを手がける、今まさに旬の漫画家、よしながふみの対談集。対談相手は羽海野チカから三浦しをんまで、とにかく感想は「皆さん本当にマンガ(特に少女マンガ)がお好きなのね!!」ということ。ものすごくストイックでプロ意識の高い話ばかりで驚く。

そんなんでなんとかかんとか時間をつぶし、渋谷イメージフォーラムで「精神」を鑑賞。満席でした。

その後、同じ映画館でもう1本見ようと思ったが、先ほど読んだよしながふみの対談集の影響で「ムウ」を見ることにする。対談集では基本的に少女マンガとボーイズラブの話が多かったので。手塚先生の作品、しかも原作は主人公たちが同性愛関係であるという「ムウ」を見たくなってしまったのだ。

でも「ムウ」は予定に入っていなかったしねぇ。(笑)もうスケジューリング、ボロボロです。

まぁそんなもんかぁ、と思いながら疲れたので銭湯で一息。明日からもきっと予定どおりに行かないと思うけど、そこそこに頑張ります・・・。

|

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »